おしゃべりはここまでだ──大学が配るべきはChatGPTではなくClaude Code

サスペンス映画でおなじみの場面です。悪役が言う。「おしゃべりはここまでだ」。銃口が上がり、主人公は絶体絶命。──だが、その瞬間に必ず頼れるヒーローが駆けつける。

なぜこんな話から始めたのかは、最後までお付き合いいただければわかります。今日は大学とAIの話です。

先日、博士号を取ったというエントリを書きました。あの研究はAIのおかげで進んだ、と書きましたが、学位を取った今も研究は続けていて、正直に言うと、進み方は在学中より速くなっています。

ChatGPTのような対話型AIも、プログラムは書けます。ただし、実行はできません。AIが書いたコードを人間が手作業で動かし、まず間違いなくエラーが出るので、エラーメッセージをコピペして直させる。この往復を何度も繰り返すのが「おしゃべり」の限界です。Claude Codeは違います。書いて、実行して、エラーが出れば自分で直して、動くまで自動でやり切る。リポジトリ(研究の一式が入った書類棚のようなもの)を棚ごと渡して、「このデータでこのシミュレーションを回して」と頼めば、以前は数日がかりだった作業がその日のうちに終わります。おしゃべりの相手ではなく、一緒に手を動かしてくれる相棒です。

これを学生にも使ってほしい。心からそう思います。ただ、Claude Codeは無料では使えません。最低でも月20ドル。「先生、それ有料ですよね」で会話が終わってしまう。もったいないことです。

日本の大学が配っているのは「おしゃべり」のほう

日本の大学のAI導入は進み始めています。新潟大学や近畿大学はChatGPT Eduを全学導入し、東大はGeminiとCopilotを全構成員に提供しています。ただ、配られているのはほぼチャット型です。ChatGPT Edu導入校なら建前上はコーディングエージェントのCodexも使えるはずですが、各大学の案内で前面に出ているのはレポートの壁打ちや調べ物。そしてClaude Codeを配っている日本の大学は、私の知る限りまだありません。

米国は違います。AnthropicのClaude for Educationを契約したNortheasternやダートマス(アイビーで初の全学導入)では、チャットのClaudeだけでなくClaude Codeまで機関ライセンスで学生に渡っています。CS教育団体のCodePathは、州立大やコミュニティカレッジの2万人超の学生に対してClaude Codeをカリキュラムの中心に据えました。OpenAI側もインディアナ大学12万人、カリフォルニア州立大学46万人という規模でChatGPT Edu(Codex込み)を展開中です。

つまり日米の差は「AIを導入したか」ではなく、中身です。日本はチャットを配り、米国はエージェントまで配って教育の柱に据え始めている。チャットは調べ物を速くしますが、エージェントは研究と開発そのものを速くします。4年後、卒業生の生産性に出る差は、この配り方の差だと思います。

そして、頼れるヒーローが来る

冒頭の映画の話に戻ります。

締め切りと実験に追い詰められて絶体絶命だったのは、博士課程の私でした。そこに駆けつけた頼れるヒーローが、Claude Codeです。おかげで今は3ヶ月に1本のペースで論文が書けています。なかった頃は年に1本書ければいい方でしたから、まさにヒーロー並みの働きです。

そして、絶体絶命のピンチは学生にもあります。むしろ卒論・修論の追い込みにこそある。それなのに、頼れるヒーローが月20ドルの向こう側にいて、駆けつけられずにいます。

日本の大学で最初にClaude Codeを全学に配るのはどこでしょうか。研究室単位でも講座単位でもいい。「学生全員の隣に頼れるヒーローがいる」環境を先に作ったところが、次の世代の研究者と開発者を先に育てます。おしゃべりはここまでだ──さあ、ここからは頼れるヒーローの出番です。