ネットゲームに「はまる」理由を哲学的、宗教的に考えてみた

週刊文春が5/28発売号、6/4発売号と2週続けて、ネットゲームにはまる危険性を記事にしています。

なぜ、ネットゲームに「はまる」かを考えてみました。

人間というのは、ロールプレイ、別の誰かになりたいという願望が強いのではないでしょうか。

多くの宗教は、魂が肉体という仮の姿をまとっているのが、人間である、という教えをします。

人間は、自分の本質が魂であることを忘れ、人間としての生活にのめり込みます。
そのことを宗教は戒め、宗教家は自分の本質を思い出すように諭します。

このことと、とても似ていないでしょうか?

自分が人間であることを忘れ、ネットゲーム内のキャラクターとしての生活にのめり込む。
よって、ネットゲームにはまった人を救出する適役は、宗教家ということになります。

この仮説「人間はロールプレイしたいという強い願望を持っている」を立証する有効な手段は、「ネットゲーム内に、ネットゲームを作ってみる。ネットゲーム内ネットゲームにはまれば、上記仮説は立証される。」

この仮説が立証されたとき、実験に参加した人は2重に「はまって」いるわけで、その「はまり」を解くのは、容易ではなさそうです(笑)


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